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2018/09/15

ハリケーン・フローレンスに対するFEMAの対応と演説と日本語とについて (なぜ日本人にはSDRが理解されなかったのか?についての論考 その3)

私事乍ら。

一昨日、わたくしは飛騨の伝統的なんとか会の理事兼実務者として、毎年恒例、11月の伝統工藝品月間の展示会の打ち合わせに出席したのですがイイカゲンもううんざりだ!!!


たとえば「今年の標語をどうするか?」という議題があったとすると、なこた毎年最初から解ってるんだからめいめいが考えてこいよ。

なので私があらかじめ考えてきた案を出すと一同なぜか黙る。  黙るなって。 何か言えよ。

と、1分後くらいに、えげつない根性の長老格みてえなのが、「うーん、それはちょっと、、」とか言い始め、以下、日本全国津々浦々で行われている会議とそのまんま同じに突入していくのであつた。 


黙ってるかと思うと、本筋でもないくだらねえ細かいよな事にはグチグチ拘泥するし、市役所の担当のひとは、「これはこうしてください」という命令は絶対に言えない立場なので、身代わりに司会を務めてバンバン捌き、悪者になるのも年に一度くらいなら中々オツなものです。 

こんなことを毎日やってるひとたち、たいへんそう。 そりゃ大天下のトーシバも潰れるよ。


これはいはゆる「議論」=「忌憚のない意見を出し合って皆でなるべく良い方策を模索する」のではなく「合議」=「皆が合意するために行われる話の聞き合い」というムラのしきたりにあります。

なにしろ、「忌憚のないご意見を」という日本語自体が、「本音を言ったらおまえクビな」、という意味なのですから。 京都弁かよ。


・・・そういうこともありまして、





狂暴ハリケーンの中、いったいアメリカでは緊急時、どういうことが行われているのかをワッチしていました。


とくにわたくしも学生さんであるところのFEMAの動きを見ておりまして、ビデオでは、




ちゃんと手話のひとがついて、赤十字など、各組織の広報のひとたちが入れ替わり立ち替わり質疑応答を繰り返し、「われわれはこうだからこうである」、つっても何言ってるのか解らんのですが、おのおのが責任者として意思と具体性のある発言をしています。

で、これを日本で日本語でやらかすと、





こうなっちまうんだな。

情感に訴えながら柔らかく論理的に語るということができない。 
 

日本にはなぜ名演説がないのか? ということには各方面からさまざまな考察がなされていますが、ダラダラ会議に象徴されるような、自分の意思を持ってない、表現することができない、コミュ力が無いからとされているようです。

たしかにそうではありますが、言語と思考と表現の立場から見ると日本語の特性と、それに伴う日本人の思考性ではないか?

たとえば「激甚災害」、たとえば「猛烈に発達した台風」、「異例の呼びかけ」、、、いずれもしっくりこない、身についてない、センス皆無な言葉ばかり。


FEMAではサバイバーの心得として、




 
・If trapped in a building, go to the highest floor. 

・Do not climb into a closed attic; you may get trapped by rising floodwater.
・Get on the roof only if necessary.



解りやすい図式および具体的な言葉でイメージ豊かに論理的に語りかけてきますが、日本では、「直ちに命を守る行動を!」って壊れた蓄音機みてえに叫んでるだけで、じゃあいったいどうすりゃええのか皆目わからない。



アマチュア無線で言うと、IC-7300のキャッチフレーズが、英語では、






The Innovative HF tranceiverに対し、日本では、「さあ、HFの扉を開こう!」 って意味不明、何が言いたいのかわからない。

かといってモロに、「革新的なHFトランシーバです!」ではあかんでしょうなあ。

伝統的なんとか会議においてもわたしは、つい、「ではあなたはどう考えるのですか?」なんていう言葉を発してしまうのですが欧文脈過ぎ、強すぎる感じがします。


これらのきわめて複雑困難な事情をもっともよく現わしたのが、先日行われた自民総裁選演説会でした。





明治時代の書生さんかよ。

speechを「演説」と訳したのは慶應の福沢諭吉ですが、その塾生さんであるところの、学生弁論大会で優勝したといふゲル石破の語る言葉は力強いふうに見えて空疎に回転するだけ、イメージが湧かず、まったく心に響かない。

対する、現代派、アメリカ流の身振り手振りでレトリカルな安倍も板についてない、勢い込みすぎてメロメロ。


これらトンチンカンなのを見てると、SDRといふ舶載語がまったく理解されないのも、「ソフトウェアで定義されたラジオ?、なにそれ??」 と、日本の近代文明と言語と表現の未熟なゆえの不整合に由来するのだろうと考えます。 

昔ながらの漫才師や講談師は面白いのに政治家はヘタ、というのがそのことをよく現わしているでしょうが。


・・・ことばをその時代時代の文明と整合させるのは難しい。とくに日本語ではむつかしい。

だけれども、SDRなどの新しい概念がドンドコと出現し、大災害が多発、

オリンピック後には移民が大量に押し寄せる、ワールドグローバル的レシプロカルダイナミックレンジにシフトする現代社会においては、モゴモゴと口よどんでいる村会議みてえなことやってないで、自分の意思を持ち、積極的に、論理的に解りやすく説くこと、 

かといって、





小泉進次郎みてえな軽いのにのぼせるのもどうかと思いますが、ひとりひとりが真剣に努力しないとあかんでしょうねえ。

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