まあまあそう怒らいでも。。
このところ知的財産いう言葉が大きく取り上げられ、またご自分のページにコピーライト(C)などと書いて居られるかたも多くなってきましたので、この場で知的財産権に対するわたしの考えを書いておきます。
まず、「知的財産権」とはなにか? とWikipediaに問い合わせてみますと、
知的財産権(ちてきざいさんけん、intellectual property rights)とは、著作物(著作権)や工業所有権などといった無体物について、その著作者などが、それに対する複製など多くの行為に関して(無体物であるにもかかわらず、あたかも有体物として財産としている、あるいは所有しているが如く)専有することができるという権利である。
ここで頻繁に書かれている「著作者」とは=小説やソフトウエアなど形の無いものを最初に作ったヒトの権利のことを指すらしい。
だが、著作者の権利=たとえば著作権(コピーライト)なんていう権利はたかだか500年程度の歴史しかない、ごく最近の概念なのです。著作権なんて16世紀以前には無かった。
これは著作物の本質に関わるもので、1500年代以前の本や楽曲には制作者の名前は付いていない、付いていても本当なのかわからない。
なぜかと言うと、「知は社会の共同作業である」という概念に基づく。
たとへば「源氏物語」という書物は、いちおう「紫式部が書いた」と言われていますがそんなことは解らない、
サインも無いし写本でしか存在しない、
この小説は「チーム紫式部」の合作とも言われているし、そもそも源氏物語の中ですら日本書紀や古代中国など、前の時代の無断借用が甚だしい。ほとんどパクリと言っても良い。
わたしの業界である焼き物業で例を引くと
これは北村美術館が持っている京焼の祖、仁和寺の野々村仁清というひとが400年前に作った茶碗ですが、いまの京都では全員が模倣、パクって作ってる。
これを呼んで「写し」と言い、手本を新しく解釈した、むしろ文化的に優れた業績だとされています。まあホンモノには一生かなわないダメダメなのばかりですが。
また、イギリスでは産業革命の人間喪失を機にウィリアム・モリスらによって「名も無き民の芸術」=「民芸」という概念が起こり、日本でも柳宗悦らによって広められ、高度情報工業化社会に疲れ果てた今の現代に、ますます重要になつてきています。
その証拠に、今上天皇陛下の譲位お知らせのときのバックには、
縄文土器を丸パクリ男、笠岡の民芸、なぜか人間国宝になってた島岡達三の皿が置かれていました。
人間国宝とは国の重要無形文化財保持者です。
一個の個人の姿形をしていますが国民全員の共有財産であって本人すら専有できない、日本全体の文化に貢献し次世代に繋ぐ責務を負う。
いまの市場を見れば、無名の良いもの=「無印良品」なんていうのが若い奥様方のあいだで持て囃されているのも時代の有力な援護でしょう。
で、ここで重要なことは、自分が誰かを写したならば、「自分の発信した物事を誰かにパクられても文句は言わない」、
うちには、「誰かのをそっくりマネしたヒット商品」は数多くありますが、代わりにパクられても何も文句は言いません、
否、「マネされたらむしろオリジナルな自分の名誉である」という考えが歴然と存在する。
・・・いまは「個人」という概念が重要視されていますが昔はそんなものはありませんでした、知的なものとは歴史を含め、みなの共同作業で作り上げる共有の公共財産です。
これを「伝統」と呼ぶ。。いま流行の安っぽいイヤな言葉でいえば「集合知」とも言いますが。
ですから、著作権持ってるやつでも、たとえば和製ポール・マッカートニーと呼ばれる財津和夫、
おいこらモロにポール・マッカートニーのThe Long And Winding Roadやないけえ!!
、、っていうひと、多いです。
だがわたしはそれらを咎める気はありません。コピー元のビートルズだってプレスリーやスコットランド民謡のパクリなのですから。 全員が誰かの模倣者じゃないか。
もし財津和夫やポールマッカートニー、紫式部が優れた芸術家だとしたら、彼らが「伝統から学ぶ学び方が優れていた」というだけの話です。
平凡なひとたちはそれを「個性」や「独創性」と呼んで讃えますが、彼らは伝統をほんの少しだけ改めたに過ぎない。
もちろん知的制作物の開発作成で生活しているひとたちが一定数いることは承知しており、対価を支払ってCDやソフトウェアを買うこともありますが、「著作権があるからこそ次の世代に文化的財産が渡せる」なんていう話はウソです。
紫式部は著作権なんて主張してない、誰ひとりとして紫式部にカネなんか払ってないにもかかわらず、源氏物語は日本文学の最高傑作として1000年も生き続け、いま現在も若い人たちに大人気、脈々と受け継がれているじゃないか。
人間国宝という称号だって死んだ瞬間に剥奪、死後50年も権利を持つなんていうことは無い。
本質的には「知の財産権」は存在しませんし、「独りで創造した」などという「独創性」も、この世には1個たりともありません、すべてが全員の共同製作です。
自分の趣味嗜好だけでテキトーなこと書いてるよなブログなんていうのは元々が「個人日記」でしかありません、借用されたくなければインターネットなんかにおっぴろげずに机の引出に入れて鍵掛け、自分だけが見てれば良い。
だいたいが無断借用禁止って書いてる奴だって、みなの共有財産であるところの「日本語」を勝手に無断借用して書いてるようだがそれは許されるのか?
スキマだってわたしは全部解放して世界に無料で公開してたのに、QS1Rで内輪の隠れスキマやってた連中がどれほど多いことか。
また、著作権云々を声高に叫ぶ人たち自身が、
「中華パチモンは安っすいから本物よりいいわあ!」などと知的財産権侵害物を買っているのは許されるのか?
・・・わたしは詭弁を弄しているのではない。
繰り返し述べますが知的財産は全員の共有財産です。、、家やクルマ、土地などの三次元物体は違いますよ。
ですからわたしは、個人のかたが撮影した写真などのコピーは出来るだけ控えますが公的なもの、
新聞やテレビなどのマスメディア、YouTube、大きな会社、役場のホームページなどに載っているもの、公人である政治家などの顔写真は断らずに借用転載、引用します。ただし引用などは出典をなるべく明記します。
その代わりに私の書いたこと、写した写真や自分の吐いているリアルタイムデータなどは放棄、無断で使用されても一向にかまいません、悪用されようがむしろ名誉なことです。
「JF2IWL」という国から与えられた個人の権利すら放棄しますからパイレーツでKH1を邪魔してもらってもかまいません。 商号使われようが一向かまわん。
・・・先月、世界的カメラマンを自称、木っ端ヤクザみてえなツラした徳島のプロカメラマンが、勝手にうちに来て断りもなく仕事中にわたしの仕事姿を撮影、
謝礼はおろか、ひとつの礼もなく勝手に商用利用した上に、私が写っている写真はカメラ持ってる自分の権利だから渡さないと来た。
それじゃあまるでヤクザと一緒の手口じゃないか。
また、同じく先月にうちに勝手に来たフジテレビは、自分の著作権は主張するくせに私の工房を荒らしまくった非礼はいっさい詫びない。ヤクザそのものじゃないか。
先月ふたつのヤクザ連中に邪魔され、知的財産権について色々と考えるところがあったので、以上、ここに自分の覚えとして長々と記しておきます。
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